2002-07-02の記事、famao曰く [長年日記]

(TT) Kondara Project 解散

実は私は Kondara Project の最初からのメンバでした。このような形で Project を終了しなければいけなかった事が残念ですし、最初から最後まで関わってこれたのは幸せだったと思います。

PC 歴も Linux 歴も浅い私にとって Kondara Project の成長が自分の技術の成長でもありました。Kondara を中心として私と知り合いになってくださった皆さまにもありがとうといいたいです。

(TT) という事でこれからしばらくは

今まで Kondara でやってきた事をふりかえっていこうと思います。技術的な事も反省すべき点もまとめて総括していこうっと。

(TT) Kondara Project への参加

Kondara Project に直接かかわる事になったのは 1999年のいつ頃だっただろう。threeweb の IRC チャンネルの #penguin-cafe で誘われたのがきっかけでした。当初、私はある会社で Linux のエセ管理者だったため、その腕を買われての事だったと思います。つまり、当時は別に「開発者としての腕」を買われたわけではないと思います。

じゃ、「管理者」としてはどうか?というとそれ程でもなかった気がするので、多分に「運」による所が大きかったんじゃないでしょうか。

当時のメンバは、t,tom,nono,tnh,tomohiko,famao だったと思います。

(TT) Kondara MNU/Linux 1.0

そんなこんなで Kondara MNU/Linux 1.0 の開発を始めました。GNOME は整備すべきライブラリが膨大である事や、一旦 GNOME 関連のライブラリとひっついちゃうといたる所で GNOME が必要とされてしまう事等から、Kondara Project 内ではあまり好かれてませんでした。(私は個人的にgnomeのcvsをrpmパッケージにして公開してたりしたので、嫌いではなかったですけど)

そういった事情から、1.0 では Window Manager として Enlightenment と KDE(一枚岩だから)を採用する事になったと思います。私は Enlightenment のテーマ作成や、LANG 環境変数をみて読み込む設定ファイルを切り変えるパッチ(あとでLANG で切り変えるのは邪道だ。とある人にいわれましたが)等をしました。

(TT) 1.0 を振りかえってみて

1.0 は開発期間がとても短くてはっきりいってしまうと失敗作だったかもしれません。このパッケージによって、「Kondara」は難しいというイメージができあがった気がします。 GNOME 関連のパッケージは一つも入ってないのにインストーラに GNOME の項目があったり、 comps の記述ミスで KDE がはいったりはいらなかったりしました。マスタを起す作業もバタバタしまくりでしたね。私は DF のデザイナさんと打ち合わせをして Enlightenment 用の theme を作成するはずだったのですが、結局時間が足りなくなってしまい、迷惑をかける事になってしまいました。この時は本当に悔しかったっけ。申し訳ありませんでした。

一方で、企業とコミュニティの関係という意味では、この時が一番良かったと思います。MLリストのアーカイブを見ても、まさに企業とコミュニティが対等に(いや、コミュニティの方が強いな...)議論している様子がうかがえます。

1.0 は私は自分で箱を購入しました。自分が開発にたずさわったものを自分で購入するなんて事ができるとは思ってなかったので、とてもうれしい出来事でした。

本日のツッコミ(全3件) [ツッコミを入れる]
(oo)/ ただただし (2002-07-02の記事、famao曰く 04:02)

お、それは楽しみです

(oo)/ smbd (2002-07-02の記事、famao曰く 18:47)

続きが楽しみです

(oo)/ こ〜りん (2002-07-02の記事、famao曰く 18:58)

私も続きを期待してまする.


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